弁護士再規制をめぐるねじれた議論

先に弁護士の品質問題を取り上げて以降も、ちょうどこの2010年6月から完全施行される改正貸金業法への関心もあって、「過払い金返還請求」を中心とした弁護士とのトラブルを扱った報道がますます増えている。しかしながらそれらを一通り並べてみると、その中にある一定の、奇妙なパターンを持ったものが多いことに気づく。

それらのパターンとはおおむね次のような、きわめて狭い枠の中におさまるものだ(例1例2例3例4例5)。類似の記事を目にした方も多いだろう。

  • 弁護士の中に、依頼者の利益より自分のビジネスを優先している、ハイエナみたいなひどいのがかなりいる
  • それらの悪徳弁護士は、過払い請求が簡単に儲かるのに味をしめ、高額の請求をふっかけて弱い立場にいる多重債務者を食い物にしている
  • 彼らは広告を大量にうって客を集め、事務員も大量に雇って仕事を規格化し、依頼者の話しもろくに聞かずに流れ作業のように仕事を片づけている。依頼を希望する人は、相場なみの料金できちんと相談に載ってもらいたければそういう事業者は避けよう
  • 広告と料金を自由化したから問題が生じた。そういう悪徳弁護士がはこびらないよう、元のようにできないように規制しよう
  • 司法改革で弁護士をむやみに増員したから質が低下してそういう悪徳弁護士が増えた。増員を停止し、元のように厳しく選抜して少数精鋭で質を担保しよう
予備知識をなにも持たない人がこれらの主張を注意せずに聞き流すと、なるほどそれは大変なことだ、言われる通り急いで対策せねば、と思うかもしれない。しかしひと呼吸おいて落ち着いて考えると、事業運営の常識的なあり方からみて奇妙なのはたとえば以下のような点である。

  • 新規参入で事業者が増えて広告をうって客寄せし、さかんに営業競争をしていれば、ふつうは料金の相場は上がるのではなく下がる(世間で話題のように下がりすぎて困るくらいである)。暴利を貪るような事業者はそれによって真っ先にいたたまれなくなり、追い払われるので、それがまずいというならむしろ競争をいっそう促進して風通しをよくした方がよいのではないか。通常は(することが変わらなければ)競争によって価格は下がり、規制(政府規制や民間のカルテル、談合)によって価格は上がる。そうならない、逆になるというのはなぜか。

  • 業務を定型化、組織化すれば、個別のきめ細かい対応という点では確かに満足度は下がるが、これもそれ自体は価格を下げることにつながり、顧客はそのどちらを選ぶかの選択になる。これもどんな業種でも同じだ。定型化と料金レベルが両方同時に上がるということは通常はありえず、あったとしてもそんなダメ業者は見限られるだけだが、そうならないのはなぜか。

  • それらの記事では決まって悪徳弁護士のひどい事例から説き起こして、組織化された新興の大規模事務所や司法改革の話しへと続くが、よくみると、取り上げられている最初の悪徳弁護士の事例はむしろ高齢かつ個人事務所でやっている弁護士のケースがほとんどで話がまともにつながっていない。逮捕やら脱税やらで新聞沙汰にまでなるようなひどい例も同じで、60〜70代の高齢弁護士ということは、小数精鋭だったはずの(司法改革前の)旧司法試験による資格者ということである。一般的に考えても、社会との接地面積の大きい大規模事業者の方が(まさにそれだけ情報の非対称性が低いために)、うやむやで契約してあとから高額料金を取るなどいう悪辣な商売は長続きできないはずである。実際にそういう傾向が認められるのであれば、これもいっそう淘汰圧を高めて、生きのいい若手と新興の事務所で業界全体のあり方を近代化し、新陳代謝をさらに進めて、そういう顧客軽視の古株の小規模事務所を駆逐した方がいいのではないか。
こんなふうに、これらの記事の土台になっている論理は足元がそうとう怪しいものがあるのだが、以上のような疑問をもとにあらためてそれらの記事を追ってみると、こうした論調は、実は弁護士業界の職能ギルドである弁護士会の主張をそのままなぞって代弁していることがわかる。事実そこでは、記事のしんがりに、前回も言及した宇都宮弁護士やその周辺の弁護士がゲストで登場して、その主張を紹介して締めるというものが多い。関係ないところを撃った流れ弾で撃たれた格好の新興事務所の側も、それなりの言い分はあろうと思うが、そちらはまったく取材されず、主張は比較されない。記事そのものが弁護士会の丸抱えで、素材等もこれを使えと指示されたものをそのまま節操もなく使い流しているようなものまであるのではないか。見解の対立があるはずのものを一方の側の主張だけ強調して、世論の印象操作をはかろうとする(あるいはそれに加担する)のは、報道の中立性、公平性という点からいっても大きな問題があろう。宇都宮氏が今や日弁連の会長に就任していわば「体制」そのものとなっただけになおさらである。


「プロボクサー」がいつも必要なわけではない

上記の疑問点について、さらに踏み込んでみてみよう。まず、弁護士の事業者数と価格形成という点についていうと、次の資料および記事では これまで参入規制によって料金が高止まりし、利用が妨げられていたのが、司法改革による増員と「非弁」規制の緩和によって実際に価格が下がり、利用者にとっても法律サービスを利用できる機会が増えたことが指摘されている。

弁護士に対して行ったアンケートによると、その7割が少額訴訟(訴額が60万円以内の事件)は受任しないと答えています。その理由は、報酬が少ないからです。実際、訴額が140万円以下とされる簡易裁判所の事件でも、弁護士が受任しているのは全体の約9.8%に過ぎません。(弁護士白書2006年度版、97頁)そのため、平成15年に法改正をし、司法書士に簡易裁判所での訴訟代理権を認めました。それまでは、弁護士は受任しないにもかかわらず、他の専門職が取り扱うのは「非弁活動」として禁止してきたのです。

弁護士白書によると、平成21年3月現在の弁護士数は2万6930人で10年前の約1.5倍に急増。この結果、これまで弁護士が受任することが比較的少なかったとされる従業員の不当解雇や交通事故のトラブル、養育費の支払い請求など、報酬が数万円程度の案件も積極的に受任する若手弁護士が増えているという。/一方、弁護士以外で法律にかかわる士業者は司法書士や行政書士のほか、税理士、公認会計士、社会保険労務士など多岐に渡る。しかし、それぞれの担当業務が熟知されているわけではなく、依頼者はだれに相談すればよいか分からず、探し方も知らないのが現状だった。こうした中、大阪や神戸の若手士業者らでつくる「関西士業交流会」を主宰する社会保険労務士の天野勝規さん(33)が顧客の開拓と利便性向上を図ろうと、20年2月に士業者検索サイト「まほろば」を開設。現在は税理士や社会保険労務士など10種類の士業者約250人が登録し、毎月2万人が閲覧するまで成長した。/まほろばには当初、弁護士も登録していたが、士業者の非弁活動をめぐり監視を強めている大阪弁護士会が「弁護士の選定に関与すれば非弁活動にあたる」とクレーム。このため、今年1月末に弁護士の登録を抹消した。/職域をめぐって「弁護士」対「他士業」の構図が鮮明になる中、まほろばのメンバーは士業者同士のネットワークを生かした「ワンストップサービス」にも乗り出した。例えば、依頼者から遺言の相談を受けた司法書士が、サイトに登録している税理士に相続税の相談を引き継ぐなど、顧客の“囲い込み”で対抗している。 天野さんは「今後はインターネットにとどまらず、別の士業者同士が事務所を合併するなどつながりを深めることで『ワンストップ化』をより強化する流れになるのでは」と話している。


また、業務の組織化、定型化という点では、上記の同じサイトで次のように指摘されている。

現在、法律事務所で一番多い事件が多重債務者の債務整理と自己破産、過払い利息の返還請求です。これらの仕事はきちんとした処理マニュアルとソフトウェアがあるため、少し慣れれば一般人でも処理できるようになります。現に、多くの事務職員を雇って、このような業務を大量・画一的に処理し、報酬を引き下げている事務所はたくさんあります。法律事務の中にも弁護士でなければできない複雑なものから、それ以外の方でもできる簡単なものまで様々あります。後者のようなものは弁護士以外の者にも取り扱いを解禁し、報酬を安くすることが国民の利益になるという考えもあります。


これに対して、弁護士会の伝統的な考え方からは、そのような組織化された大規模事務所はコンサルティングの質が低いので利用しないように勧めている(もちろんこのような記述が、最初に述べた「奇妙な論理」の典型である)。

もちろんこんな弁護士ばかりではない。だが、中にはハゲタカ弁護士や司法書士もいる。カモにされれば、過払い金請求で生活を再建できるどころか、逆に借金を増やしかねない。(略)安心できる弁護士事務所を選ぶには、どんなポイントを見ればいいのか。自殺や多重債務問題などに取り組む弁護士の岡林俊夫さんは「しっかり過払い金返還請求をしたいなら、弁護士と事務員の比率に注意しては」と助言する。「考え方にもよりますが、大量の事務員がスピード重視で手続き処理する事務所はいかがなものか。当然ながら事務員は法律のプロではありません。弁護士と比べれば、ボクサーと一般の人くらいの開きがある。重要な話を聞き逃して、依頼人に不利な結果を招くケースもないとはいえない」。


たしかに本職の弁護士とただの事務員とでは、プロボクサーと一般人くらい実力が違うというのはその通りだろうし、そうでなければ困るだろう。本当に複雑にもつれた事案ではその腕力が必要になるのも確かである。しかし、われわれが法的交渉のサポート役を依頼したい時に、雇える選択肢がプロボクサー一種類しかいないというのもまた困るのである。なぜなら上にあるようにプロボクサーはプロボクサーであるがゆえに頭数が限られ、用心棒代もそれだけ高額になるからである。世間の法的交渉事における大部分のニーズは、プロボクサーを持ちだすほどの大仰のものではないけれども、ひとりで全部対応するのは不安なので、その中間くらいの料金と能力の専業事業者の力添えを頼みたい、というものであろう。「マニュアルがあれば一般人が自分でもできる」ような依頼案件を定型的にスピード処理する大規模事務所はまさにそうしたニーズに応えた存在と考えられる。過払い請求のベースにある多重債務問題では、それに長く取り組んできた宇都宮弁護士自身の弁によれば、分母となる百万単位の対象者の中で、弁護士や司法書士などの専門家にかかれている者はほんの一部にすぎず、残りのかなりの部分がヤミ業者に流れているという。費用的な問題から弁護士に頼むことができないそれらの人のために、宇都宮氏自身が推薦をつけて「過払い金回収マニュアル:消費者金融・クレジット会社からお金を取り返す方法」「この一冊で過払い金の計算方法、消費者金融・クレジット会社への請求方法から裁判の起こし方、調停方法の手続きまですべてわかります。あなたの過払い金を簡単に計算できる”CD−ROM”付き」という宣伝帯がついている)という本が出版されているが、そういう状況が現実にあるのであれば、目指すべき方向性は、「プロボクサーかゼロか」という極端な二択の中で、前者に手が届かない代わりに自分でできるマニュアル本をあてがわれて済まされている人々のために、事業者数の拡大と生産性の向上をさらに押し進めて価格水準を引き下げ、そうした人々のところまであまねく専門家の恩恵が及ぶようにする、というものであるのが当然の筋道ではないのか(それはまた高い成果を上げた者に相応の収入的見返りで報い、両者を両立する最良の方法でもある)。ちなみに、くだんの推薦本は、ヤミ業者にとっても格好の業務手引書、虎の巻になっているとのことであるが、素人同然のヤミ業者がマニュアル本を見ながら応じられる程度の請負仕事にわざわざ相談に行ってしまうほど窮迫している依頼者は、もしもその選択肢さえあるのであれば、正規の信頼できる事業者のところに行きたいと思っているはずだ。たとえそれがプロボクサーほどの猛者でないにしても。

弁護士の敷居の高さ:内閣府「総合法律支援」に関する世論調査
「弁護士の敷居の高さ(弁護士への相談を迷う、あるいは相談しない理由)」(複数回答)
「総合法律支援」に関する世論調査結果/図10(内閣府:平成20年)より作成



広報の「プロボクサー」は使わない?

次に、伝統的な発想からはなにかというと目の敵にされている広告の活用はどうだろうか。上でも言われているように、本来法的サービスを受けるべき人たちの大部分が実態としてそれを受けることができていないのは、事業者の数が足りず、料金も高いことに加え、何度も言っているように、事業者側からの情報発信が乏しく、どのようにそこにたどりついたらいいのかが利用者の側に知られていないからである。宇都宮氏自身の言によれば、多重債務者の八割は正規の相談窓口を知らないという。それはすなわち事業者からの情報露出が望ましい水準からみて大幅に不足しているということに他ならない。なぜ不足しているか。業界がその道の専門家の活用をいたずらに忌避して、素人が自分だけの考えで適当にやっているからである。そしてその専門家とは誰かというと広告事業者やマーケティング事業者のことで、広告を解禁するとは要はそれだけのことにすぎない。その専門技能の助力を頼む以上は応分の料金(コスト)を負担するのも当然であり、それは弁護士の法律の専門家として法的交渉を委任する時と同じである。当然ながら弁護士は宣伝のプロではない。本職と比べればボクサーと一般人くらいの開きがあり、重要なポイントをやり損ねて不利な結果を招く可能性もある。弁護士業界はなぜ、法律サービスについては顧客に対してプロボクサーの利用を推奨しながら、広報活動についてはその道のプロボクサーの専門技能に対してしかるべき敬意を払い、正当な対価を惜しんで利用を尻込みするのか。望ましい状態との乖離がそこまで激しい以上、今こそはその出番であろうのに。

全般に弁護士業界や医療業界は、情報の非対称性に関する自分たちの業界の特殊性を世に訴えるのには熱心だが、それを乗り越え、架橋しようとする努力はその熱心さに反比例して後退する傾向があるように見受けられる。たとえば日本医師会は病院の広告やHPの利用について「指針」を示しているが、そこで前面に出ているのは「○○されるのは困る」という海老(えび)のような後ろ向きの前進姿勢ばかりで、利用者が情報が欲しいが見つけられないと感じている情報について、かけた金をどう有効に使って広報と情報提供をしていくか、という攻勢型、積極型の課題意識はほとんど見られない。届かない情報、届きにくい情報は積極的に、またコストを覚悟して届けようとしない限り届かない。正規の事業者がそれを怠っていると、それこそ利用者は要領を得ない口コミ情報のひそひそ話に依存せざるを得ないし、横からいかがわしいヤミ業者、ヤミ療法師も出てきて霧の中で迷っている依頼者を言葉巧みに誘惑しながらさらっていくことになる。彼らはサービスの中身自体は空疎な紛い物であるだけに、広報という点では巧妙かつ命がけで、資金も惜しみなく、また無駄なく投ずる。最も深刻な法的紛争の解決に(それにふさわしい料金で雇った)法律のプロボクサーの支援が必要であるのと同様に、ここでは広報のプロボクサーの助言が必要であることは言を俟たない。そしてそのサポートがあれば、本職の迫力がもたらす本物の輝きが、ニセモノのそれに負けてしまうことは本来そうないはずなのである。迷える依頼者たちは、ヤミ業者のサービスがいかがわしいものであることは、広告をみた時から既にちゃんと知っている。それでもそちらに行ってしまうのは、本業の方からの情報が欠けていて、他に差し伸べてくれる手が彼らからみて見えないからである。もうひとつ例をあげておくと、切羽詰まって途方に暮れている多重債務者が、たとえば弱者の味方の宇都宮弁護士の助けを借りたいと思って検索サービスで検索しても、「宇都宮弁護士/事務所」という検索候補が真っ先に表示されることから分かるように、現実にホームページすら出していないわけである。これでは自分は本当は君達に連絡などしてほしくないのだ、どこなと行きたいところに好きに行ってくれと言っているに等しく、チラシに入っていた、あるいは地下鉄で目に飛び込んできたよく分からない業者に身を投げるように電話してしまったとしても責められないのではないか。

これらの業界では、こうして自分の内に情報の非対称性を確認したところでいつも思考が止まってしまう。安楽椅子のようにその中に座り込んでしまって、利用者のためにそれをどう軽減しようとか、互いにどう手を取り合おうとかいったところまで、一向話が進まない。それどころかまるで江戸時代の幕府のように、かかっている橋さえ大慌てで飛んでいって焼き払い、作るのも禁じてしまうくらいである。後ろ手にじょうろで水をくれてやりながら嘆かれるこの不幸は、彼らにとって自分を「先生」として社会から体よく祭り上げておくための、居心地がよく使い勝手のいい「既得権」になってしまっている。

これまで見てきたように、情報の非対称性は本来「市場の終わり」ではなくてむしろその始まり、スタートラインである。それがあるから商売ができないのではなくて、それがあることを当然の前提、はじめから分かりきった前提としてそれを山登りのように乗り越えようと努力することの中に、生きた商いの本当の醍醐味、本質がある。学者も認める典型的なレモン環境だから中古車事業者は事業ができず、中古車なんて売ったってしようがないだろうか?葬儀業マイクロファイナンスは国営化した方がいいだろうか?病院の格付は事業者には嫌がられ利用者には無視されたまま天下り法人にまかせておいていいだろうか?求職者はいつまでも情報の敗者に甘んじていいように振り回されているべきだろうか?そうではないはずだ。それがあってひとが困っているから、工夫してそれを乗り越えることに、ともに喜び、対価を払うに値するだけの「価値」と差が生まれるのである。情報の非対称性は市場参加者にとってあきらめて撤退するための「口実」ではなく、常に絶好の「チャンス」であり動力である。蜜蜂が広い野原を勤勉に動き回って蜜を探し出すように、それを嗅ぎつけて探し出すことこそがそこでの本分のひとつといってもいいほどだ。


「真のねらい」は何か

このように論点を一つづつ整理していくと、最初に挙げたような一見もっともらしい記事群の「異様さ」があらためて浮かび上がってくる。まずそれらは、現実に法的サービスへの社会の需要に対して供給がまったく追いついておらず、多くの潜在需要者がその恩恵を受けないまま放置されている実態があるにもかかわらず、それに背を向けて、供給量の拡大と生産性の向上によってそれらの人々に正規のサービスを届ける正当な努力を阻もうとしている。また、これも実際に情報発信が不全で、大半の対象者が目隠しされた状態に置かれているにもかかわらず、その分野の専門能力の外部利用を忌避することで、不良事業者の方が彼らに先行して接触する状況を事実上追認している。さらに、自分でその悲惨な失敗例、被害例を掲げておきながら、職人仕事で品質のバラツキが大きく、「プロボクサー」が事務員ができるようなことまで自分でやっているために能率が悪くて高い料金を取らないとやっていけない古いタイプの小規模事務所に顧客を誘い込もうとしているのである。しかも、これらの誘導を、あたかも利用者と社会全体に対する利益であるかのように、善意のベールにくるんで嚥み下させようとまでしている。願わくば、そんな場違いなところで専門家としての高等ディベート技術を発揮しないでほしい、また、同じやるなら業界と自分たちの先行きについてのものではなくて、本業の仕事についての広報を、本来それを必要としている顧客たちに向けて、もっと身を入れて行ってほしい、というのが正直に想うところだ。

しかしながら、これらのキャンペーン活動の真の問題点は、実はそれがそこにすらないというところにある。マスメディアとタイアップしたこれらの宣伝活動の隠された本当の問題は、なぜ弁護士会は外側に向かってそのようなみっともない内輪話を自ら積極的に訴え出るのかという点にこそ求められなければならない。これらの報道を見たり読んだりした人は、それらの問題を「改善」しようとしている宇都宮弁護士と仲間たちは立派だな、と思ってくれるであろう反面、現状はずいぶんひどい状態だとも感じて、弁護士業界全体に対するイメージと信用はずいぶん損なわれ、引き下げられるだろう。以前にも触れたように、弁護士会は、特権として所属会員に対する懲戒権を自分で持っている。弁護士会からみて気に入らない現状があるならまずそれを行使すればよく、そのためにこそ付与された権限である。ろくに説明もせずに後になってから高額料金をふっかけるような悪い弁護士がいれば、事前説明をして了解を得るよう業界として強く指導し、従わないなら業務停止すればよいし、顧客に嘘をつくような不正な広告で弁護士の社会的信用を落とすような会員が入ればこれもペナルティーを与えて矯正すればよい。これらは一般の業界団体にはない強力な一種の警察権で、それを想定されている通りに使えば、自分たちでできる範囲で業界は充分正常化も期待できるはずである。にもかかわらず、なぜ真っ先にやることが業界内の問題を拡声器を使って外部に放送し、わざわざ身内の恥をさらして、業界全体の評価を引き下げることなのだろうか。メディアを使ったこの種のネガティブ情報の流布が、現場の個々の事業者の運営に対してたいへんな打撃となっているであろうことは、他の事例から見ても想像に難くないが、それを業界団体が自分で率先して引っ張っている例など聞いたことがない。彼らのしていることを見ていると、まるで業界団体自らが嬉々として加盟事業主に対する営業妨害に精を出しているかのようである。なぜそのような、一見愚かしい、無意味な行動に彼らはあえて出ているのか。

その理由は、これらの活動の中にある彼らの本当の狙いが、自分たちの内部の懲罰だけでは解決できないものを勝ち取ることにあるからだと考えるほかはない。そうだとすれば、それらは衆目の下で内輪の愚痴をただ甲斐もなく垂れ流しているわけではなくて、逆に自ら肉を斬らせ、血を滝のように流してもなんとしても目指すところの骨を斬らんとする明確な目的意識と強い覚悟に基づいて行われていることになる。また、それらのさかんなキャンペーン活動を覆う表向きの善意のベールを一皮めくると、中から現れるのは、同業の仲間を生贄に差し出し、業界全体の評判を引き下げてでも何としても本懐を遂げようとする、目的のためには手段を選ばない、執念と権力感情の刃(やいば)が剥き出しになった、凄惨で寒々しい荒野の精神風景であろう。ではその「自分たちの内部だけでは完結しない目的」とは何か。次でそれをみていく。


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2010/06/11 | TrackBack(0) | 政治経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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